アーカイブ 2012年 6月



霞ヶ浦医療センターが輝きだした!

2012年 6月 29日

昨晩は、霞ヶ浦医療センター(旧国立霞ヶ浦病院)の懇親会がありました。
ここには、予備校時代からの同窓と、さらに高校時代からの同窓がいまして
彼らと会って話すだけでも楽しいのですが、今年は様相が変わっていました。
活気があるのです。


この十年間、医療、特に病院は様々な厳しい環境にさらされ、
医療を提供していれば生き残れる時代では無くなってしまったのです。
かつて、国立霞ヶ浦病院は、茨城県南でもピカ一の存在で、
私が今、お世話をさせていただいている遠方の患者さんも
ここまできて、手術を受けた想い出を語る方もいます。
私が子供の頃、病院といえば、ここでした。
懇親会で新しく就任した呼吸器内科の石井教授が話したように
その歴史は昭和16年、霞ヶ浦海軍病院として開設され
(ということは、この土浦に副官として就任した山本五十六のカルテもあるのではないでしょうか?)
その後、 一時はベッド数2100の巨大病院となった時期もありました。

そして、ここ5年、医師不足、病棟閉鎖の憂き目にあいました。
私の同窓の口腔外科の吉田君は(敢えて、吉田先生でなく、吉田君は)
この完全に向かい風の状態で、都立駒込病院から一人で赴任し、
不安と戦いながら、いつの間にか、地域の医療機関、つまり開業医のみなさんの信頼を獲得し
今は、スタッフ三人を抱えて、 癌とも戦う状態となりました。
私も何度か、彼には助けられ、今に至っています。
しかし、日に日に医師が減少し、色々な噂が渦巻く中、
ここで、一気に医師数を増やし、院内の士気を高めることに成功しました。

筑波大学附属病院 土浦市地域臨床教育ステーションとして生まれかわりました。

院長の西田先生は、かつて私も授業を受けた産婦人科の権威で
院長就任時から、この逆境と戦う姿勢を見せ、
さらに副院長に就任した循環器 鈴木先生の頭の中にあった構想が実現し始めたのです。
ここに至る経緯は、医療従事者としての能力は勿論、行政との交渉を粘り強く行った人間力に負うところが
大きかったことは想像できます。

研修医時代接点が全くなかったのでお話をしたこともなかったのですが
副院長の鈴木先生に御挨拶をすると、今までの医療人とは違った何かを感じます。
何かを感じたい方は、一度、お会いするとわかるでしょう。
一瞬にしてファンになります。

今は建物は昭和の時期に建てられたものですが、徐々に先端医療の整備も開始されています。
土浦市内を見下ろす絶妙なロケーション、広大な敷地。
そして、人間力。
キャンパスはでかい。

ここに絵を描ける人たちが集まりだしたのです。

土浦から最近、発信されるニュースは暗いものばかりでした。
八月にはモール505のイベントも告知され、町の再生も始まり出すのでしょうか?

来年にはスタートする私たちの施設らしきものも、この医療圏にあり、
かつての先輩、後輩と楽しく仕事ができる環境が、また、一つ整いました。


「岳 みんなの山」 作 石塚真一 終了

2012年 6月 28日


2003年に『ビッグコミックオリジナル』で発表され、
その後、2007年から連載が開催された「岳 みんなの山」

昨年は映画化もされ、これから、どうなるのかと期待していましたが、
今回で終了されました。

作者の石塚真一先制は、その祖の源流は茨城に由来のある方で、
先月、偶然、お話をする機会があり、そこで「岳」の終了の話題を
いつとは告げずに話されてました。

また、次回作は違う分野に取り組みたいとも。
山岳だけが、自分ではないという強い意志表示を感じました。

ビッグコミック上も、半年後の予告をされてますから、
また、石塚先生の違った世界を見ることができるでしょう。

石塚さんの風貌は、この作品の中にでてくる登場人物と、どこか似ています。
「山ガール」などの登山ブームの一翼を担った功績も大きいのではないでしょうか?


老人ホームを作るのではにゃい。風土を作るのだ!

2012年 6月 21日

いよいよ、有志と共同で県南の某所に、98床の有料優良老人ホームを建てることとなりました。
自分のお客様に対して、自宅で過ごせない状況に陥った場合の避難所的な意味もあります。
時に、野戦病院として、真夏のシェルターとして、第二の家として私たちが、この無縁社会、孤老の国と
呼ばれる惨状の中で、答えを見つける作業に入るわけです。


これまで、建物、箱物を持たいないのが自慢でしたが、やがて自分たちが入る施設の準備、人材の確保にないらなければなりませぬ。
建物を立てるのは資金と場所と時間があれば、容易かもしれませんが、コンセプトは頭の中で考えていても空想、妄想で終わってしまいます。

日々、考える場を作ることによって、これまでのコンセプトを結晶化させる仕事に入るわけです。
戦後、失った地域共同体の復活の足がかりとしての場所になればとの思いもあります。

昨日、地鎮祭を、現地で行いまして、懇親会の場においては地域のみなさんとの接触もできました。
近隣には学び舎もあり、鳥の鳴き声も聞こえる場所で地元の方からいただいた言葉の数々はありがたいものでした。
やはり、一人で思案に耽るよりも、人と話すことで、様々なコンセプトが湧いてきました。
まだ、地面も整地されていない状況でしたが、今日の懇親会だけでも、ここに来てよかったなと心底思いました。

その中で、「風土を作りましょう。」と提案を受けました。

今、茨城の南部も都内のベッドタウンとして、また、筑波研究学園都市の誕生により、新住民の移動も進んでおります。
「風土とは、我々、昔からの土着民としての土、新しく入ってくる風としての住民。
 その風と土が、うまく馴染んで新しい風土ができるんです。」

時代背景によって、風土も変わっていかざるえない部分もありますし、残さなくてはいけない伝統もあります。
超高齢化社会を迎えるにあたって、今の時期に何かの答えをみつけなくてはなりません。

今、頭の中にあるのは、少し前の日本です。
きっと、これまでも面倒を見てくれた諸先輩方も、賛同していただけると思います。

賛同しない先輩は、でこピン!