アーカイブ 2010年 2月



日経 夕刊記事

2010年 2月 27日

2月25日  夕刊記事です。

全国紙に写真が載るのは、生まれて初めてです。


本日 日経新聞 夕刊に紹介されました。

2010年 2月 25日

訪問医自宅生活の支えに、報酬改定で普及進むか、24時間対応、変わるみとり。
2010/02/25 日本経済新聞 夕刊 11ページ 1790文字 書誌情報

 4月に改定される医師の診療報酬では拠点病院のほか、地域での訪問診療の報酬も実質的に引き上げられた。患者を24時間サポートする訪問診療の普及は、高齢者の自宅生活の大きな支えになる。ニーズの高まりを受け、訪問診療医も着実に増えている。

 「こんにちは」。医師の平野国美さんが普段着のまま玄関から声をかける。すると、ベッドに横たわる飯村きよさん(84)は笑顔に。平野さんはベッド脇に腰を下ろし、診察が始まった。
 きよさんは肺炎を患い、鼻に酸素吸入の管をつけている。だが、脈拍や血圧のチェックの後は世間話が大半。食事内容や家族の介護の様子を把握するにはそれが一番という。きよさんは平野さんと指を絡ませている。付きそう娘の飯村幸子さん(68)と平野さんの会話にうなずき、安心した様子がうかがえる。
 平野さんは茨城県つくば市に「ホームオン・クリニックつくば」を2002年に開設。在宅療養支援診療所(在療診)に登録し、診療を続けている。この日は飯村さんをはじめ13人の家を車で回った。通院をせずに診察が受けられる患者のメリットは大きい。
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 在療診は訪問診療の拡大へ、厚生労働省が2006年4月に設けた制度。登録した開業医は患者に24時間対応し、月2回以上定期的に訪問すれば、高額の報酬を得られる。
 今回の報酬改定では診療所の再診料は20円減額されたが、患者からの電話に24時間対応すれば30円加算される。開業医の在療診登録への呼び水になりそうだ。
 患者の生活を支える効果も想像以上だ。岐阜市のJR岐阜駅南口の住宅地。「お初にお目にかかります」と小笠原文雄医師に同行した看護師に何度もあいさつするA子さん(91)は、認知症が進み要介護4。だが、一人暮らしを続けている。6年前から月2回医師が訪ねて診察。ヘルパーも1日3回訪ね、調理援助などで生活を支えているためだ。
 小笠原さんは「在療診は病院とほぼ同等の対応ができると思う。一人暮らしのがん患者も自宅で最期まで暮らせる」と断言する。08年夏以降、76人の患者をみとってきたが、うち6人は独居だったという。
 もっとも、それがまだ理解されていないとも嘆く。「患者の家族が病院に入れてしまうときがある」からだ。10年近く診察してきた独居の男性(72)はその一人。糖尿病と認知症を抱えながらも生活は成り立っていた。だが、心配した息子が入院させ、一カ月ほど後に亡くなった。「急な環境の変化で体調を崩したのでは」と小笠原さんは推測する。
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 病状を丁寧に説明しながら、本人の体調を見守り、家族の介護相談にも耳を傾けるのが訪問診療医。信頼できる医師の存在が、患者と家族の生活への安心感や心の落ち着きにつながる。
 末期がんの夫に寄り添った鹿児島市のBさん(69)はそれを実感するひとり。「先生の話を聞くことで、夫と今の時間をどう生きるか、気持ちを切り替えられた」と訪問診療医の中野一司さんに感謝する。中野さんから話を聞く前は「夫を治したい。でも治らない、と思い詰め悩んでいた」という。
 在療診は診療所の約1割、1万2000近くに達し「100人以上の患者を持つところも増えてきた」(厚労省)。さらに広げるためには、医師の負担軽減が必要だ。「24時間対応が条件では旅行ができない」などと登録をためらう開業医が少なくないからだ。
 対応に動く医療機関も出てきた。週末に夜勤専門医師を配置しているのは東京都葛飾区の在療診、大高在宅ケアクリニック。院長の大高正裕さんを主治医として、09年9月に義父(97)をみとったC子さん(62)は「週末に院長以外の医師が来たが、特に不安はなかった」と振り返る。
 在療診の拡充は「自宅での自然な死」という選択肢を広げる上でも意義は大きい。日本では病院で亡くなる人が08年で78・6%と、かかりつけ医が定着した欧州諸国に比べ割合が極めて高いからだ。
 だが、自宅で亡くなった人の割合は07年に30年ぶりに前年を上回り、08年には12・7%に。一方、病院で亡くなる人の割合は06年以降低下している。厚労省などの調査では「できればいつまでも自宅で」と望む国民は6割前後。希望の実現のカギが在療診の定着にあるのは確かだろう。
(編集委員 浅川澄一)


NAHKI ナーキ

2010年 2月 25日

このブログを書いていると、

私の地元では、誰か見ていてくれる人がいて、

「ピラノ」は、仕事をしないで、ずっと放浪していると

まことしやかに噂されているそうだ。

周囲の人間には、旅の話なかりでなく、

たまには、変わったことを書けと言われる。

NAHKI  ナーキ

1962年 三重県出身の彼の経歴は、一橋大学法学部卒業で


元、雑誌「ぴあ」記者。

その後、ジャマイカに渡り、レゲエ ミュージシャンとなる。

単なる英語でなく、「パトワ(ジャマイカ語)」にも堪能となる。

初めて、PVを見た時は、日本人には見えなかった。

好きとはいっても、ここまでジャマイカンになれるとは

1962年生まれの現役、レゲエ ミュージシャン

どこまでも、がんばっていただきたい。