アーカイブ 2008年 1月



栃木 日帰り

2008年 1月 28日

本当はね、西伊豆にある松崎という町に行きたかった週末。

恩師である某病院の理事長様が日曜日の夕方食事しようなんて言い出さなければ

何とか行けるはずだったのですが、夕方6時につくば市ではね。

しかし、恩師の誘いは断れません。

慌てて、栃木に変更しました。Tochigikawa

行ってみると、

びっくり

10年前に、

ここを訪れた時には、

当時、蔵や街並みに

興味がなかったから全く記憶に残りませんでしたが、巴波(うずま)

周辺には、立派な蔵屋敷が奇跡としかいいようがないほどに、

集中して残っています。

奇跡と言うのは、いくつかの条件があると思います。

川越もそうですが、歴史的に繁栄した時期がなくては、これだけの蔵が一箇所に

集中して建つ事はありません。

さらに、戦争による被害がまず、無かったこと、

それから、空白の期間が必要になります。

川越で、ある蔵をそのまま利用して、今も御商売を続けてらっしゃる方に

お話を聞いたとき、別に蔵を残したくて残したわけではないと。

繁栄の後の低迷期、実は店を新築する資金もなくて、仕方がなく、そのまま

商売を続けていたら、いつの間にか、レトロブームが起こり、奇跡的に蘇ったと。

栃木も、県庁所在地として繁栄を来たした後に、宇都宮県と合併、当時の県令

三島通庸によって栃木という名を残しながら、県庁は宇都宮に移動する。
この辺の歴史から、この町の衰退は始まったと思われる。
三島通庸の名前が、Saisei
このブログにのるのは三度目、だtったかな?
一度も無いかも?
日本史は学習していないが
元薩摩藩士で、県令としては、
他に山形、福島、その後警視総監となっている。
明治時代の中央集権化の象徴的な動きをしている。
権力の象徴としての公共物の設計する思想など
現代に通ずるものがある。
このブログで名前を記載したかどうか
面倒で調べたくない。
山形で見た済生館病院の建設にかかわっている。
この方、茨城とも直接間接関わっている。
よく見かける風景だが、佐原もそうだったが、蔵の町の後ろはシャッター通りである。
奇跡の裏は悲惨が同居している。
Tomoko
「ホテル鯉安」と聞いて反応するのは
この町の出身者か、マニアですね。
私が10年前に、ここを歩いた時には
ホテルだった。
しかし、その昔は黒塀で囲まれた栃木県内一の
名門割烹だったそうだ。
歩いていて見つからないなと思ったが
御主人が亡くなったことにより、
すでに廃業されたそうだ。
この「鯉安」の次女が
この山口智子さんなのは、栃木県民なら
常識でしょう。
懐かしい話だが、遡ること10年以上前
栃木市に隣接する大平町に友人がいた私は、ある夏の夜に
彼の家に遊びに行った。
さりとて特にすることもなく、彼の提案で
「栃木駅の近くに山口智子の実家であるホテルがある。」
「ホー。」
「彼女は次女で、長女がホテルを仕切っているが、顔はうり二つである。」
「ホー。」
その瞬間に車のエンジンはスタートした。
だから、どうしたと言われると、そこまでだが。
この町の出身であると知らなかったのがSekihi
駅前にある石碑
「たったひとりしかない自分を、
たった一度しかない一生を、
ほんとうに生かさなかったら 
人間生まれてきたかいがないじゃないか」
と刻まれている。
これを読んでピンとくる、あなたの教養に尊敬します。
私も、この小説を読んだのですが、いくつかの小説
例えば、次郎物語などと、頭の中で混乱しています。
そう、この句碑は、未完の書 「路傍の石」のこのシーンです。

勉強が良く出来、一番で高等小学校を卒業したものの、前途に希望を失った吾一は、卒業式の帰り道いつもの河原にやってきて呆然と立っていると、突然、クラス担任の次野先生に呼び止められた。「中学へ行けないんです」と一言発した途端、胸から悲しみが突き上げてきて、激しく泣きじゃくってしまった。しばらくして、次野先生は、「愛川、おまえの名前は何というのだ。ここに書いてみろ」と静かに話し掛けた。吾一は言われるままに、先生の拾ってきた石で「吾一」と書いた。

「吾一か、実に良い名前だ。吾一、おまえは自分の名前の意味を考えたことがあるか。吾一というのは、“我は一人なり”世界に何億の人間がいるかも知れないが、愛川吾一というものは、世界中にたった一人しかいないのだ。だが、一人ぼっちとは違う。仲間はたくさんいる。先生もおまえの仲間だ。千万人行けども我行かぬ。たった一人しかいない自分をたった一度しかない一生をほんとうに生かさなかったら、人間生まれてきた甲斐がないじゃないか。福沢諭吉は言った、『学問は米を搗きながらでも出来る』って。これからのおまえの人生はおまえのこの二つの手で切り開いて行かねばならい。分ったか」。

そう山本有三は、この町の呉服屋に生まれている。
今、この小説はある面、脚光を浴びているらしい。
それは、今の家族崩壊。機能不全家族に通ずるからのようだ。
この小説に、たしか?
「路傍の石となると、XXXXXXXとなるなかれ。」
のようなセリフがあったと思うが、忘れてしまって悔しい。
誰か、覚えていらっしゃいましたら、コメントに載せてください。
この小説、私が影響を受けた一冊だ。
子どもの時、同級生の○○君は、アホなくせに先生方に贔屓されていた。
なぜだろうと理不尽に思った私は、親に問うてみると
「開業医、つまり、お医者さんの子だからだよ。」と
何か、この本に通ずるものがあるでしょう。
私の祖父は東京の江戸川辺りで、自転車店に丁稚奉公に出されていたそうだ。
よく、その当時の悲惨な話を小学生の私に聞かせていた。
背中に店の主人の子どもを背負い、食事を残すと食べつくすまで
その皿が、幾日にも渡って出てくる。
休日は、お盆の日の午後だけ、休みをもらい、やっとの思い出実家に電車でたどり着くと
そこには、自分を歓迎しない、継母がいたと。
しかし、丁稚生活は根性がついたと、よく話してくれた。
そして、必ずお前も、江戸川に丁稚に出すのらと。
その時、当時7歳の私は、「丁稚ってなんだ。」と尋ねると母は、この本を買ってきた。
ただ、難解ですよね。
当時の私には、士族などという死語も出てくるしね。
ただ、この吾一という名前を解説するくだりは、記憶にある。
これ、最近の安っぽい言葉で言うと、「オンリーワン」でしょう。
山本有三、機能不全家族など、70年ほど前に現代を予想しているかのようだ。
嬰児殺し」だって今に通ずるものがありますよね。
などなど、恩師の気紛れで、行き先を変更したわけですが、
徒然に、いろいろ考えるには、いい放浪でした。


守谷駅 とうとうキター

2008年 1月 27日

守谷駅 とうとうキター つくばエキスプレス開通して数年、いつか現れると思っていたら、とうとう、現れました。ストリートミュージシャン、うるさいこと言わないで、温かく見守ろうじゃないの。


一気に帰宅

2008年 1月 27日

一気に帰宅