そのうち、みなさんの元に配られる新聞の原稿です。
お盆で、おめでとうございます。
お盆で、おめでとうございます。おかしな、挨拶だと思われるでしょうね。つくば市のある地域では、お盆に際して、こういった挨拶が交わされます。訪問診療をしておりますと、同じ、茨城でも、地域ごとに独特の風習や民話、伝説、しきたりがあることに驚きます。私は、時々、真面目に地域医療というものは、民俗学の上に成立するものだと話すことがります。
学生の頃に、柳田国男の「遠野物語」を読んで、岩手の遠野を訪れたことがあります。民話の宝庫と言われていますが、茨城も負けず劣らず、キツネの恩返し、河童や「だいだらぼっち」の伝説があります。牛久沼の集落には、小川芋銭や、住井すゑと交流していた方が、私の患者さんにも存在しています。
先日、初めて聞いた話なのですが、茨城西部、守谷、坂東には成田山に、未だに御参りにでかけない地区があるそうです。それは、成田山の由来が将門に対して出兵する朝廷側の門勢の士気を鼓舞するために祈祷を行った場所であり、この地区の民衆にとって義民である将門を偲んでのことなのだそうです。また、地名の由来が将門に関するものも驚くほど多くあります。こういった話を聞けるのも、今百歳近い長老たちの口を通してです。
私も40歳を超えて、興味の対象が少しづつ変わってきました。古い民家、蔵、骨董、患者さん宅に置かれている、民具や動かないどころか、針もなくなった古い柱時計。実に、いい味わいがあり、診察を忘れて眺めていることがあります。物の本には、こう書かれています。骨董とは、いにしえの人との対話である。そこには古ければふるいほど、その存在は大きいと書かれていましたが、私の場合は、逆に昭和、大正、明治のほうがイメージが湧きやすいので好きです。
患者さんの診察、たまに外来で若い人も診ますが、普段の往診で診させていただく長老のほうが、存在が大きいなと感じるのも、根底にある理由は同じなのかと思います。背負ってきたものが、我々の比ではないのです。いつも、思います、自分が、あの年まで生きたとしても、ああはなれないなと。