年の瀬に新聞のコラムを読んでいて、
心を打ったものを、ここに載せます。
リンク: 12月30日付・編集手帳 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞).
三味線をひき、唄(うた)をうたい、門付けをして歩く盲目の女性を瞽女(ごぜ)という。旅先で一夜の宿を請い、雨露をしのぐ。身づくろいをするときには皆、見えない目で持参の鏡に向かったという◆「今度生まれてきたとき目が見えるようにという祈りがあったようです」。昨年105歳で亡くなった“最後の瞽女”、小林ハルさんの評伝「光を求めた一〇五歳」(川野楠己著、日本放送出版協会)に、宿を提供してきた人の談話がある◆生後まもなく失明し、意地の悪い師匠に伴われ、8歳で旅に出た。村人に唄を褒められると、「いい気になりおって」と罰を受けた。食事ひとつにまで、いじめにも似た差別があった。理由を告げられぬまま、夜の山中に置き去りにされたこともある◆「次の世に来るときは虫になってもいいから明るい目をもらってきたいと願っています」。無形文化財、黄綬褒章、吉川英治文化賞をはじめ数々の光彩に包まれた晩年の述懐である◆ハルさんが幾度となく通った、新潟県胎内市から山形県に通じる通称「瞽女街道」は白い雪に覆われているだろう。人生は旅だという。生き惑い、若くして路傍に倒れ伏す人の多さに、旅することのむずかしさを思い知らされた1年もまもなく暮れる◆「いい人と歩けば祭り。悪い人と歩けば修業」。ハルさんの言葉にあった。
「次の世に来るときはーーー」、この部分に初め、心惹かれましたが、
最後まで読むと、ハルさんの人生観。
「いい人と歩けば祭り。悪い人と歩けば修業」。
この言葉に共感します。
最近、人生は祭りと、つくづく思います。
できれば、楽しく生きたいのはやまやまですが、思うようにはなりません。
物事も、自分ひとりで、どうにかなるものではなく、相手があっての事ですから、
軋轢は、当然生まれます。
ここ数年、変化の早い自分の日記、感謝する人も多いのは間違いないのですが
それ以上に、恨む人も多いのは自分の性格でしょうか?
何か起きた直後に、恨むことは多いのですが、時が過ぎれば、結果として
あれも、自分の勉強になったと思うことが多いです。
この一年、考えてみれば、福祉トイレ研究会の偽善者や、尻に画鋲事件など、
多々ありました。
これも、ハルさんの言葉を借りれば修行、修行なのです。
研究会は、最近、招待状の案内も来なくなりました。
噂では、空中分解寸前との話もあります。
今日で、一年が終わりますが、来年も私に
「祭り」と「修行」をお与えくださいますよう、よろしく、お願いいたします。