アーカイブ 2006年 1月



最近の流行

2006年 1月 31日

 土曜日の休日の静けさの中で、本に対するディスカッションは、淡々と行われていた。

昔から、一定の周期で医学物というジャンルは存在する。

私が好きだったのは ストーリテラーとしてstrong

名をはせた、アーサー ヘイリー

ストロング・メディスン

山崎豊子 「白い巨搭」

など

 最近のものでは、私は見ていないが、ダウン症児が主人公の

「たったひとつのたからもの」

リンク: ドラマ「たったひとつのたからもの」主演 松田聖子.

 幻冬舎から出版されたlittle 、脊髄小脳変成症が主人公の

「1リットルの涙」

などなど、高齢者に対する本も多く出されている。

「がんばらない」 鎌田實

泣きたい、泣いてみたいという気持ちは、我々の中に

間違いなくある。

しかし、いつも思うのは、その瞬間に涙しても、日常生活においては、あまりに、難病患者に対して社会は冷淡だということだ。

私の患者さんにも、数名いらっしゃいますが、入院や外来の度に絶望して帰ってくることが多い。

絶望するのは、疾患に対する治療法が無いことを嘆いているのではない。

長い年月で、疾患に対する理解は十分、理解されているのだ。

ただ、それを少しでも改善した状態にしたいと願うのは、当たり前の心理である。

それを、手も握らずに、「生きていればいいだろう。」とか

「こうなるのは、当然。」とはき捨てるように言葉に出せば、ひどく、がっかりされるのは当然である。

私とて、雑な性格ゆえ、随分、琴線に触れることが、今も多いと思う。

できるだけ、そんなことは無いように気配りをしているつもりですがーーー。

実際、患者さんの立場にならないと気付かないことなのであろう。

私の大半を占める高齢者の患者さんが、発する言葉も、自分が、その年代に生きていられたとしたら、はじめて、あの時、みなさんが言った言葉の意味が身に染みて分かるのだと思う。

 医学は学問かも知れないが、医療はサービス業だと思う。

こんな発言をすると、また、お叱りを受けるかもしれないが、究極のサービス業でなくてはならないと思う。

流れ作業で、聴診器を当てて、処方箋を発行するだけなら、味気ない。

市内でも老舗で評判の高いクリニックの先生の外来を見てみたい気持ちはあるが、実際は、失礼であるし、時間的にも難しい。

患者さんから、伝え聞くと、何か、心をひきつけるものがあるようだ。

 限られた人生の時間の中で、様々な経験をするのは不可能だ。

職業だって、一生のうちに、いくつもの職種を極めることは不可能だ。

それを埋めるのが、本というものかなとも思う。

涙腺を刺激するだけで終わらないものを、いつか目指したいと思う。


大人の社会見学

2006年 1月 30日

 小学生の頃、よく、職場見学という授業があり、工場などを歩き回ったが、

今日は、それの大人版である。

といっても、別にいかがわしい場所ではなくて、出版社、それも一流。

以前、ソフトバンクパブリッシュメントに友人の友人の誘いでお邪魔したことはあるが

今回は、別の一流出版社。

今回は、見学でなくていかに、自筆の内容をアピールするかである。

詳細は書けないけど、syanai

割と、好意的に出迎えてくれました。

方向性と、内容を確認して、

後は、モチベーションだけです。

一生に一度あるかないかのチャンスなので

がんばりたいと思います。

駄目でも、失うものはないし。

冬の幻に終わらせぬようにと願うのみです。


代々木あたり

2006年 1月 29日

 午前中で、診療を終えて、高速で都内に移動。

向島で降りて、両国駅から、千駄ヶ谷に向かう。

しかし、寝過ごして、代々木で降りる。

目的地は、どちらの駅からもアクセスOKなので、本当に久しぶりに、代々木駅周辺を歩く。

私は、予備校は駒場に(河合塾)通っていたけど、千駄ヶ谷にも別校舎があるため、この通りは、懐かしい。

昔のままの立ち食いそばやも残っていたりして、やはり、予備校生の街である。

今、ライブドア事件が話題になっているが、昔、光クラブ事件という東大卒の金融業を起業した男がモデルになった小説「白昼の死角」。

当時、中学生であったので、記憶は定かでないが、番組のエンディングで、宇崎竜童の「欲望の街」がかかるとき、この代々木のスクランブル交差点が、映し出されていた。

何年か後に、自分が浪人したとき、このスクランブル交差点を見上げると

「代々木ゼミナール」と書かれた大きな看板を眺めて、溜息したものだ。

代ゼミは、あまり、縁がなかったが、建物の外には

「日々是決戦」と書かれていた。

これを、まねてある会社が、オフィスに「日々是決算」と書いてあったという。

あれから、20年以上、経過している。

共通一次に失敗して、お世話になった講師の河本英夫先生が、千駄ヶ谷にいると聞き、

絶望しながら、あの時も、この道を歩いていた。

河本先生も、いつの間にか、東洋大学 哲学科教授に名前を連ねている。

頭の中が、ごちゃごちゃになりながら、歩いていると、目的地の表示が出てきた。

wnter 今から、ここで、お話を聞くわけ。

20年前と違って、切羽詰ったことではないけど、

一度、やってみたいことであるので。

真摯な態度で中に入ろうと。