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物語の知

2009年 8月 10日

出版の最終校正に入っているのですが、個人的に言えば
あまりにもノイズが多すぎて気分的に乗れない状況です。
この本を書く一つの理由として、自分は「物語の知」という言葉を使用しています。
どこかで、読んだテクニカルタームと思えますが、はっきりとした記憶はありません。
ネットで検索したら、下のリンクに当たりました。


ここでは、神話を通して解説していますが、今、生きるにも知が必要ですが、
死ぬにも知が必要です。

人間を医学的に、生きている、死んでいると評価するのは、脳死の議論はありますが、
モニターを使用して科学的に証明するのは、比較的、たやすいことですし、モニターなどなくとも
診断は下せます。

しかし、在宅医療の現場で感じるのは、あまりにも現代人が「老いる事」「死ぬこと」から
意識が離れてしまったということです。
国が作った制度が理解されていないがゆえ、今、医療の現場は混乱をきたしています。
介護の現場も、そうです。
それを、ストーリーで説明するのが私の役割ではないかと勘違いして始まった企画でして。

duropatch
最近、ガン性疼痛の管理に、
我々が使用する
外用薬デュロテップパッチなるものがあります。
一種の合成麻薬のハップ剤なのですが。
今まで、これを一から説明して、
患者さん、御家族の御了解を得たのですが、

 

今では、あのドラマ「風のガーデン」の中でkazeno これを使用する場面があり、かなり、
御理解をえやすくなりました。

小説やドラマの効果の偉大さを感じる瞬間です。


ホスピス病棟と在宅ホスピス

2006年 9月 27日

ホスピス病棟と在宅ホスピス

 最近、新聞でもホスピス(hospice) という言葉を、よく、目にするようになった。治療不能となった末期癌患者さんに緩和ケア、つまり、疼痛対策を主に身体的疼痛、精神的疼痛特に死に対する恐怖の除去を行いQOLQuality of life 生活の質)を上げることに主眼を置いた治療行為を提供する場を意味する。

 ホスピスの原義は、中世のヨーロッパにおいて旅の巡礼者を宿泊させた教会の施設を意味する。その旅人が、病や健康に障害をきたし旅の継続が不能に陥った場合、そのまま、治療、療養を行った。現在の病院を意味するホスピタル(hospital)も、語源をここに有するが、当時の意味としては病院だけでなく、療養所や、孤児院、老人ホーム、ホームレスの収容する施設など広範囲をカバーした。

 ホスピタリティ、つまりHOSPITAL+ITYとは、訪問者や旅人を歓待、厚遇することを意味する。

 現代のホスピス、つまり緩和ケア病棟の歴史は、世界的にも、まだ浅く、イギリスにおいてシシリー・ソンダースが1967年に聖クリストファー病院にホスピス病棟を開設したことを起源としている。日本では、淀川キリスト教病院、または聖隷三方原病院が他院に先駆けて開設している。

私が、今、危惧しているのは、このホスピスの意味が、世間では曲解されている可能性があることである。私自身も、曲解している可能性がある。何か、参考文献を読もうかとも思ったが、今、現在の私自身の在宅医療を経験した上での私見として、ホスピス、そして在宅ホスピスを、ここでは考えたいと思う。

例えば、癌の末期の患者さんが、いよいよ、全身が衰弱し、食事もままならなくなった時に、こう言われた事がある。

「是非、父をホスピスに入院させて、元のように、歩いたり、食べられるような姿に戻してください。」

こういった希望を持ってホスピスに入院した場合、その後の経過を考えると、御家族も、患者さん本人も、絶望してしまうだろう。患者サイドに立った場合、なぜ、入院しているにも関わらず、日に日に様態が悪化していくのかと訴えてくるケースが多い。医療は万能ではなくて、現在も不老不死をもたらすには至っていない。つまり、いかなる医療機関も、あるステージを越えた癌、もちろん、他の疾患に関してもそうだが、無力である。もし、病を医学の力で乗り越えられたとしても、その背後には加齢がついてくる。だから、寿命というものは、いずれ、訪れる。入院しているのに、なぜ、死ぬのかと家族に聞かれたこともあるが、これも、同様の理由で、超えられないものがある。つまり、曲解、誤解がその後の、患者さん、御家族の不満をもたらしていることが多いのだ。ゆえに、ホスピスを利用するにしても、ホスピスの目的を、しっかり、相互理解した上で、本人、家族が必要と考えれば入院を検討するべきであろう。よく、緩和ケアが一般病棟ではできないのではないか?とか、自宅ではできないのでは?と疑問の声があるのだが、私としては、いかなる病棟でも、自宅でも可能と考える。麻薬を最終的に使用する場面が訪れるが、今は、自宅でもこれらの薬剤を使用することが容易になった。剤形の工夫によって、今ではハップ剤の形の麻薬もあり、家族にとっても、使用法違法が容易になった。ある特殊なケースを除いては、自宅での終末期医療は技術的には可能である。呼吸困難に関しても、在宅酸素を持ちいることにより、ある程度の対処はできる。ホスピスのベッド数は以前少数で限られており、みながここに入院できるチャンスは物量的には無理だ。今の医療制度上、一般病棟も入院日数の制限があり、長期の入院は難しい。そう実のところ「死を迎える場所」が圧倒的に不足しているのだ。だからと言って絶望してはいけない。自宅を最後の場所に選ぶことも可能だ。あるホスピス病棟で、自宅を最後の場所として希望する人は40パーセントはいると言われている。私は、癌以外も含めて、ある程度様態が落ち着いているうちに、本人や家族の気持ちを聞くために、「最後は、どこで迎えたいですか?」と尋ねている。これに際して、なるほどと思ったケースがある。男性は、「俺は、できれば家がいいな。」と躊躇わずに答えることが多い。しかし、女性の場合「家もいいけど、やはり、最後は病院かな。」と答える場合が多い。この両者の相違は、以下のことに起因している。今の高齢者層は、まだ、亭主関白の時代で、ある程度自分の意思、我儘を通してきた世代である。逆に女性の場合は、やまとなでしこの世代で、主人に追随する世代である。女性の場合も、実は家にいたいのだが、夫に自分の世話をしてもらうのは不可能、ほかの家族にも迷惑をかけたくないから、大人しく病院にいようと考えているのだ。だから、潜在的には、もっと多数が、自宅を選択する可能性もある。


胃瘻について考える その1

2006年 2月 4日

 私が、初回の往診をした時、すでに患者さんは胃瘻を設置されていることが多い。

これらの患者さんに関して、胃瘻の是非に関して討論する必要はないと思う。

私も、せっかく、設置していただいた胃瘻を大切に使用させていただいている。

ここで、このブログ、私の周囲の医療関係者が多く読んでいると思いますが、

胃瘻に関して、具体的なイメージをもたれていない方にpeg

こちらのリンクを御覧になってください。

神経内科の卒業生 藤田先生の御実家の福井

藤田神経内科病院での解説です。

リンク: 医療相談回答:胃瘻(いろう).

この設置された患者さんは、主に脳血管障害で、急性期に救急病院での治療を受け、そして、生命は存続したが、自力での栄養の摂取が不可能となり、点滴、中心静脈栄養での継続は、困難であり、生理的で自宅でも継続が可能であるように、胃瘻が作られたわけです。

 私の友人のお父様が、開業医をしてらして、脳梗塞で、こういった状態となり、家族に自ら胃瘻を作るように指示したとのことです。

 私の患者さんで、ヘルペスが、神経に入り、嚥下が困難となった患者さんがいます。

明日は、その患者さんが、胃瘻を受け入れるかどうかを迷った話。

これは、患者さん、ご家族も迷いましたが、私も迷いました。

この話を書こうと思います。