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三河邸 徳島市

2010年 1月 29日

minnka1徳島は大空襲で市内の大半が消失されたとされています。

ここは、徳島 富田浜。

この辺りに、洋館があるらしいと聞き出し、訪れてみたのが、これ。

何か、今まで見たことのないジャンルゆえ、しげしげと周囲を歩き回り、どこかに

minnka2これがなんであるのか?

minnka3周囲を歩いている人に聞いても、首を傾げられるばかりで、

とりあえず、写真にだけは、収めておこうと。

家の表札は「三河」様と表記されていました。
iwa家宅から、塀を越えて、外部に
続く岩は、天然のものではなく、

コンクリート製の疑似岩石と思われます。

小さなトンネルが、いくつかあり、

猫の遊び場となっております。

この建築は昭和4年1929年)、産婦人科病院を開院していた医学博士である三河義行が徳島県立工業学校建築科(現徳島県立徳島工業高等学校出身の建築家である木内豊次郎に自邸を設計させて建てた。

当時、関東大震災もあり、耐震性より、コンクリート設計を選択したという。

世にも不思議な意匠の住宅を徳島で見つけました。


旧中埜家住宅

2010年 1月 8日

nakanotei1この地方を代表する洋風建築
中埜半六家別邸として、明治44年(1911)に建築された。

設計は夏目漱石の義弟 鈴木禎次

ハーフティンバー様式を用いて建築された洋風建築であり、
ドイツ山荘を模したものとされる。

 

nakanotei4wikiより

1896年(明治29年)東京帝国大学工科大学造家学科卒業。

翌年、三井銀行建築係に就任する。

1898年(明治31年)夏目漱石の妻(夏目鏡子)の妹と結婚し、
1903年(明治36年)には文部省の命を受け
イギリスフランスに留学。
1906年(明治39年)名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)の建築科教授となり、1922年大正11年)には退官、のちに名古屋に鈴木建築事務所を開設する。


明治後半には、帝大造家学科の卒業生が、この地まで配置されるほど の卒業生を送り出したという証なのでしょう。


旧和泉家別邸 尾道ガウディハウス

2009年 12月 19日

glast今風に言えば、坂の上の三角の狭小住宅。

中も、奇妙であった。

なんで、こんなデザインになったのか?

キッチュなのか?

重厚なのか?

この家が残る限り、問い続ける。

設計者も、後の世に

この家の存在意義が、こんなに大きなものだとは

夢にも思わなかったろう。