この先生の授業をうけてみたい1

 また、つまらぬ話で申し訳ない。

あなたにとって、つまらなくても、今の私には重大なこと。

今年も、独身で終わること、そんな事、去年の今頃から分かっているって。

 存在理由  これが、いつも、問題なんだ。

私に宗教観は無い。

あったら、こんなバチアタリな人生は、選ばないだろう。

友人を裏切り、身内すら裁判をやりあう。

ただ、こちらから仕掛けた事は一度もない。

いつも、相手から始まるのだ。

私は、気持ちの優しい人には優しく、

冷たい人には、さらに冷酷に付き合うのが信条なようである。

 しかし、今の仕事、訪問診療は全て人との接触で成立する。

家に訪問すれば、患者さんと、御家族介護者と。

事務所に戻れば、マイクリニックの事務のみなさんと。

そして、お世話になる訪問看護ステーションや介護事業所との電話やFAXのやりとり。

この辺は、ストレス、ほとんど無し。

いや、患者さんの家族関係の問題は、ちょっと立ち入るのが、ストレスがないわけではないわな。

 今、ストレスなのは、自分の患者さんを入院させる際ですね。

なかなか、今の時代、入院って困難なんですよ。

患者さんを診察する前に、門前払いって結構あるんですよ。

 最近は、あるクリニックが、もう自分でみたくないから、そちらで診察してくれと、患者を投げ出すけど、診療の交代って、退院から在宅は問題ないけど、なかなか、患者さんの心情的には難しいですよ。

なぜ、交代するのか?

これが明示できなくては。

交代するメリットを、相手にわかっていただかなくては。

 なにか、今欠けている物。

よく、わからないが、職業人としての哲学なのかなと。

 今日、私が見つけたブログを御紹介させていただきます。

詳細は不明ですが、おそらく、東北の医学部で哲学の授業を受け持たれているようです。

 参照

松浦明宏 先生のブログ

リンク: 古代ギリシア哲学と現代倫理学のページ. より

これらがなぜ医療従事者にとって大切なのかといえば、
自分が生きている理由を疑うということを知らない人間には、
本当の意味で患者さんに「共感」することなどできないと思えるからです。
患者さんの中には、もちろん、軽症の人もいて、
それほど大げさな仕方でケアする必要のない場合もあります。
しかし、同じく患者さんの中には、自分の存在理由を疑っている人もいるはずです。
そういう人たちの気持ちを、多少なりともわかろうとするなら、
まずケアする人自身が自分の存在理由を疑ったことがなければならない。
それがいわゆる「共感」の本当の基盤
になる。

だから、私には、こう思えるのです。
哲学の始まりとは、自分の存在理由を疑い始めることであり、
自分はなぜ生きているのか、自分は何のために生きているのか、
と自問自答を始めることである。
こうした自問自答なしに、単に哲学史上の知識を頭に詰め込んだところで、
哲学の好事家にとってはともかく、医療従事者にとってはほとんど何の意味もない。
逆に言えば、本当の意味で患者さんをケアできるようになるための一つの重要な基礎として、
医療従事者は哲学することを始める必要がある。

この感覚って、クリニックのコンセプトに近くないかなと

emopy_2_thumb クリックして拡大してください。 

 

うーーん。

松浦明宏先生の授業を受けてみたいな。

でも、無理だろうな。

トラックバックしちゃおう。やっぱり、俺ってバチあたりだ。




  1. matsuuraです。TBありがとうございました。
    しかし、たぶん、実際に私の授業を受けると「なぁ~んだ。こんな奴か。」とがっかりされると思います。私がネットで公開している「講義」は、「<本当は>こういうことが言いたかったのだけれど、<実際の>授業の中ではあまりきちんと言えなかったので、その

    Comment by matsuura — 2005年11月12日 @ 11:57 AM

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