チルソクの夏



wikiより

2003年(平成15年)の夏に久しぶりに開かれた関釜陸上競技大会。この大会にスタッフとして参加した郁子は、自分がかつて走り高跳びの選手として参加した1977年(昭和52年)の大会を回想する。

1977年(昭和52年)の夏、郁子は、同じ高校の真理、巴、玲子と共に釜山で開催された親善陸上競技大会に参加し、自分と同じ走り高跳びの選手である安大豪に声をかけられる。「Five centimeter back」という彼のアドバイスに従い、彼女は165cm?の記録を出す。その夜、戒厳令の中にもかかわらず、宿舎に会いに来た彼に郁子は好意を持ち、二人は来年また会おうと約束をする。そして、海峡を越えた文通が始まる。

普通は、監督にお会いしてから、作品を見るというパターンはないわけですよね。

私の場合、まず、監督にお会いして、

尊敬というよりも、羨望を抱いてから、作品を拝見しているわけです。

そして、現場での舞台裏を覗いてしまっているので見方が少し、変わってしまうのです。

映画や小説は、好みの問題がるので、万人の支持をえるのは困難であると思えます。

私は、もちろん、この映画は大好きです。

政治的な背景は、重苦しくない程度に、しかし、私たちの胸に、1970年代の韓国と日本の関係は

こうだったのだと刻まれます。

実際、監督の少年時代に、この陸上大会を通して、おこった事実が盛り込まれているようです。

今回も雨のシーンは、「陽はまた昇る」と同じように降りました。

絶望の雨です。

「看取りの医者」でも、ネタバレになりますが、雨が降っていたような。

撮影では断片的に見ているので、あの雨が何を意味するのかは、今の時点で私にはわかりません。

脚本を読み込めば理解できるのかもしれませんが、

ここは素直に放映を待とうと思っています。

そう、ちょっと制作の現場に近寄ったぐらいで、どうのこうの言ってはいけません。

自分は一視聴者として見るべきと思います。

しかし、「チルソクの夏」、この映画を作るには、監督及び周辺の執念が感じられます。

ネットを探すと、舞台となる下関に監督がスタッフを自分の車に乗せて移動する際のエピソードが書かれています。

最近の日本人は政治にしてもスポーツにしても評論家が多いと思っています。

しかし、実際に自分の手は汚さない、俺は馬鹿じゃないから、そんなリスクは冒さないなどとのたまわれますが、

馬鹿を称賛しなくては、何の突破もありません。

頭の中の企画で終わってしまうのと実現するのでは全く、次元の違うものです。

この作品でもプロデューサーをされている臼井氏は水戸一校の出身です。

「高校に講演か、何かで呼ばれないのか?」

と尋ねると「いやー職業的に我々を、あの高校が受け入れられるのだろうか?」

といった会話をしましたが、優秀な学者や企業人を造るだけが教育ではないわけでして。

2010年の年末ですが、最大の感謝を込めて

「映画馬鹿」に乾杯。




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