荒城の月 鶴ヶ城  会津

会津 鶴ヶ城
曽禰達蔵は、戊辰戦争の終焉を、どこで迎えたのでしょうか?
白石から会津にかけての、どこかであると思います。
aidujyou
 

 

 

 

 
この城と戊辰戦争、特に白虎隊の悲劇は切り離せません。
「荒城の月」の舞台は、数ヶ所の城を上げられます。

滝廉太郎でなく、作詞を担当した仙台出身の土井晩翠が詞を構想したとされるもは
仙台市の青葉城址、同じく会津若松市の鶴ヶ城址だtったお言われます。

この城は、その美しさは悲劇が裏打ちした場所なのでしょう。
白虎隊のメンバーの年齢も、この時、曽禰達蔵も同世代。

この敗戦が、その後の彼の生き方に、大きく影響したのは間違いありません。
本来ならば、戊辰戦争に負けた彼は、主君である小笠原 長行とともに、
箱館戦争に参加し、死をも覚悟すべき立場でいながら、長行は唐津への帰郷を命じたわけです。
その理由は何であったのか?

曽禰の才能と将来を温存したかったのか?
曽禰が、その後、才能に比して決して表舞台を歩かなかったのは、
例えば、辰野金吾、ジョサイア コンドルの影として生きたのは、この辺りの歴史的背景が深く影をおとしていると私は思います。

パンクロックのストラングラーズ
メンバーの中には、三島由紀夫の愛読者もいたと言われますが、この曲を演奏しています。

Scorpions – Kojo no Tsuki – Japan Tokyo 1979

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