尊厳死

作家・吉村昭氏 自ら点滴の管引き抜き死を選ぶ

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 吉村昭さんの最期を妻で作家の津村節子さんが語ったとき、わが耳を疑った。
闘病の床にあって、自ら点滴の管などを引き抜き、
看護師に「もういいです」と言ったのだという。

 津村さんは「自分の死を決めたことは、彼にとっては良かったかもしれません。

でも、私は目の前で自決する姿を看取ったのです。

あまりに勝手な人だと思います」と泣き崩れた。

 昨年1月、舌がんと判明し、今年になって膵臓(すいぞう)がんも見つかって手術を受けた。「人様に迷惑をかけたくない」との強い希望で、病気のことは徹底的に伏せられていた。津村さんは肺炎だとか糖尿病だとか、病名をごまかした。

 「戦艦武蔵」をはじめ、緻密(ちみつ)で丹念な取材に基づく作品を書き続けた吉村さん。がんが進行しても新聞や雑誌の仕事が支えだった。遺稿となった「死顔」には、自らの死期を知った幕末の医師が高額の薬を拒み、死を迎えた物語が描かれている。最後までこの作品の推敲(すいこう)を続けていたという。

 昭和2年、東京・日暮里生まれ。東京の下町を愛した。この日の「お別れの会」が開かれたホテルは、かつて吉村さんが暮らした土地にたっている。

 白い花に囲まれた、穏やかな笑顔の遺影。会場には愛読者ら600人が集まり、外まで人があふれかえった。「絶対、泣き言は言わない人だった」。50年来の友人、文芸評論家の大河内昭爾さんは語った。

 吉村さんは7月31日死去、79歳だった。(上塚真由)

【2006/08/25 東京朝刊から】

私は,実は,吉村さんの作品は読んだ事がないが,ノンフィクション小説と言われ,史実を忠実に再現することによって作風を磨いていった.

医療系の作品では,心臓移植を扱った「神々の沈黙」がるが,遺稿となる「死顔」の発表が待たれる。

自宅にいたから、この形の死を選べたということだが、家族には一生、重荷になってしまうわけで、私は、点滴の終了に関する説明と抜去は、十分に説明した上で行っている。




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