ドクピラ・ブログ訪問診療つれづれ日記 |
神戸インク物語 竹内直行さん
素晴らしいでしょう、みなさん、神戸大阪に足を延ばしたくなったでしょう。
今は、この笑顔ですが、震災後10年、竹内さんの40代は。そこに消えたと仰います。
このブログで、そしてfacebookで、今は、神戸の夜明けの風景や様々な風景を紹介してくれます。
今回、お会いして竹内さんお行動の一面を理解することができました。
もっと、奥深いものが、まだ、あると思います。
竹内さんは、休日も仕事の日もカメラを持ち歩き、大好きな神戸の一瞬を探しています。
そして、その中から、神戸の色を、インクにされています。



現在、発表されているものだけでも、これだけあります。
先日、友人と、この話題を話していて、
「神戸の人は派手なものも好きだから、金、ゴールドとかあったりして?」
「それは、ないだろう。」と話していたのですが、
上を見てください、赤黄色系に、しっかりと、神戸を代表する繁華街
「新開地ゴールド」がありました。
しっかりと、インク瓶にとじこめられておりました。
夕焼けの色
建築家 曽禰 達蔵(そね たつぞう 、1853年1月3日ー1937年12月6日)
竹内さんが、阪神淡路震災後に自転車通勤の中、
絶望しながら夕焼けを見つめる姿を想像すると、この建築家の名前を思い出しました。

彼はジョサイア コンドルの下、東京駅を設計した辰野金吾と同期で
工部大学校造家学科(のちの東京大学建築学科)に学びます。
コンドルと曽禰の間には師弟関係を超えた友情が存在したようです。
卒業までの成績は、常にトップ、そのまま行けば、近代日本を代表する建築家、つまり、ヨーロッパ留学後、東大教授となるはずですが、最後の試験において、そのポジションは辰野金吾に代わります。
つまり、卒業は次席になります。
その後、辰野は報償としてヨーロッパ留学、その後、日銀、そして待望のあの東京駅を完成させます。
しかし、曽禰は決して表舞台には出てきません。
この辺りの物語は、この本に書かれていました。

単純な試験における競争で敗れたのか、
最終判定を下すコンドルに意図的な狙いがあったのか?
曽禰自身に、敢えて、そのポジションを避けなくてはならない何かがあったのか?
どの本を読んでも、その解釈はされていません。
単純に辰野金吾という大建築家に次ぐ、第二のポジション。
造家学科の第一期生にして、本来であるならば国家建築物に携わるべきところ、
彼の活躍の場は、民間の場において花が開きます。
三菱に入社し、コンドルとともに「丸の内煉瓦街」を設計します。
敢えて、自ら国家からは一線を引いて、民間に身を投じた。
その背景には、彼の人生のバックグラウンドが大きく影響していると私には思われるのです。
わずか、16歳にして戊辰戦争に身を投じた彼は、敗戦を経験するのです。
戦に敗れ、しかし切腹もできなかった彼は、上司の命令に従い、
福島から、郷里の唐津へ歩いて戻ります。
西にある故郷を夕映えの中、絶望の中で歩く彼の姿。
そして、震災後の破壊された街並みを自転車で、絶望の中、家路に向かう竹内さんの姿は、時代が違っても同じ、茜色の空を見ていたのでしょう。
垂水アプリコット 神戸インク物語
少し見れば、きれいなアンズ色。
それが、ナガサワ文具の竹内さんが作り出した、
この色、垂水アプリコット
普通、新しい事を始める時、ゼロからのスタートと表現しますが
そんなものではなかったそうです。
マイナスからのスタート。

なぜなら、阪神淡路大震災によって、手足をもがれた状態に陥ったからです。
交通網を分断され、竹内さんは、息子のマウンテン バイクで50Kmほどを自転車通勤されたそうです。
道も歪み、倒壊した建物を避けて走るわけですから、まっすぐには走れなかったでしょう。
大好きな神戸の風景も消えた色彩を失った中での通勤は心理的にも堪えたことでしょう。
会社の状況も厳しいものだったそうです。
その時、まだ40代、家族のことも考えて東京へ向かうことも考えた時に見たのは垂水の夕焼けだったそうです。
この風景をインクにしたい。
さらには、神戸の街を元気にしたい。
この思いから、スタートされたそうです。
社長を説得し、首を賭けて臨んだ、この事業が芽を結び始めるには、10年がかかったそうです。
「私は、あの地震で40代を失いました。」
神戸郊外の自宅は西の方向、夕映えを眺めながら、
ややもすると負けてしまいそうな気持ちを奮い立たせて決意されたそうです。
それが、このインク「垂水アプリコット」なのです。
同じ、赤、オレンジ系でも夕日と朝日は表現も意味も違います。
日本人は、夕焼けを「あんず色」と表現します。
あの村下孝蔵さんも、名曲「初恋」は
「夕映えは、あんず色」でしたね。
朝日の希望、高揚感とちがって、夕日は「せつなさ」を感じます。
日本人の情緒に訴える色なのでしょう。
竹内様の話を聞いていて、もう一人、
絶望しながら夕焼けを眺めて故郷に向かった男の話を思い出しました。
建築家 曽禰 達蔵(そね たつぞう 、1853年1月3日ー1937年12月6日)

